
筑後平野について

筑後平野って知っとる?
- 筑後平野は九州一広い平野で、人口は約100万人。
- 昔からお米、果物、野菜作りなど農業が盛ん。
- 久留米は博多からだと新幹線で17分。
- 筑後川という恵みの川により筑後平野は栄えている。
画像提供元:水資源機構筑後川局



筑後川流域
上流域、中流域、下流域のそれぞれ地域の特徴をご紹介します。

筑後川上流域
- 水が豊かで、小石原ダムなど4つのダムがある。
- 日田(大分県)は「水郷日田」といわれている。
- 「日田杉」は日本三大美林の一つ。
- 古い町並みの豆田町には、多くの観光客が訪れる。

産業|筑後川上流域
日田杉
日田は周りを山で囲まれた盆地で林業が盛ん。特産は日田杉でそれを加工する製材所が基幹産業である。日田杉は、鹿児島の屋久杉・宮崎の飫肥(おび)杉とならぶ九州三大美林の一つと言われている。日田には、50を超える製材工場があり、それぞれが専門分野に特化した多彩な製品ラインナップがある。製材所はそれぞれ得意な分野に分業化されており、スギ専門、柱専門、板類専門、内装材専門など多岐にわたり、日田をめぐれば家一軒建てるのに必要なほぼすべての部材が揃うという。

人物|筑後川上流域
廣瀬淡窓(たんそう)
江戸時代、幕府の天領であった日田は、代官の庇護もあり九州における金融の中心地として経済的に繁栄していた。淡窓は、掛屋*を営んでいた豪商・廣瀬家で生まれたが、儒学者でユニークな教育方針のもと私塾を運営。入門者は身分・学歴・年齢にかかわらず、厳格な試験により進級を決めていた。塾は当時としては日本最大規模の塾(咸宜園:かんぎえん)と言われるまでになった。全国から集まった門弟には大村益次郎・高野長英、長三州など、明治維新の担い手や日本の近代化に活躍した人々が多く、生家は現在、廣瀬資料館として残っている。
*代官所の年貢米や公金などを取扱うところで、銀行のような機能も持ち合わせていた。

イベント|筑後川上流域
主な行事やお祭り
・毎年5月には初夏の訪れを告げる「日田川開き観光祭」が開催され、筑後川水系の鮎漁解禁と鵜飼いシーズンの幕開けに合わせて開催される日田屈指の祭り。川の安全を祈願する「水神祭」を皮切りに、川を楽しむイベントが盛りだくさん。メインイベントの花火大会では、2日間で1万発の花火が夜空を彩る。
・7月になると華やかに飾り付けされた9基の山鉾が日田の街を巡行する日田祇園の曳山行事が催行され、2016年にはユネスコ無形文化遺産に登録されている。
・11月には日田天領まつり開催され、江戸時代、幕府直轄地である天領として、町人文化が花開いた豆田地区を中心に当時の賑わいが再現される。同時に「千年あかり」 が開催され幻想的な竹灯籠が並べられ、昼間とまた違った夜の町歩きを楽しむことができる。


産業|筑後川中流域
ゴム産業
・久留米市はゴム産業が盛んな地域で、「ゴム三社」(以下の①~③)と称される企業の発祥の地
① (株)ブリヂストンは、フランスのミシュラン、アメリカのグッドイヤーに並ぶ世界
三大タイヤメーカーの一角を担っている。
② (株)ムーンスターは、丈夫で長持ちする靴作りが可能となる加硫圧着方式を採用している靴メーカーで、特に学校用の上履きや運動靴で知られている。子供の足の成長を考慮した靴の開発にも力を入れている。
③ アサヒシューズ(株)はタイヤメーカーのブリヂストンの源流の会社。CI採用により日本ゴム(株)から(株)アサヒコーポレーションに改称するが、企業イメージを明確にするため、アサヒシューズ(株)へと再改称した。

人物|筑後川中流域
石橋正二郎、田中久重、日比翁助、中島平太郎、井上伝
久留米は多彩な人物を輩出している。
・石橋正二郎は、ブリヂストンの創業者。また、九州医学専門学校(現 久留米大学医学部)へキャンパスの敷地(約1万坪)と校舎を寄付したほか、久留米市へ石橋文化センターや東京の国立近代美術館の建物を寄付するなど社会事業にも貢献。
・田中久重は、江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀衛門」と呼ばれた。芝浦製作所(のちの東芝)の創業者。
・日比翁助は、明治時代から昭和前期にかけての実業家で、三越百貨店を創業し、日本初の百貨店をつくった人物。
・中島平太郎は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物といわれている。コンパクトディスクを発明し、「CDの父」とも呼ばれている。
・井上伝は、久留米藩の特産品となった久留米絣の創始者で、久留米絣は1976年に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定された。

イベント|筑後川中流域
主な行事、お祭り
・毎年8月初には、筑後地区最大の夏祭り「水の祭典久留米まつり」が開催される。1万
人が参加する「そろばん総踊り」など、多くの催しが開催され、街中が賑わう。
・「筑後川花火大会」は、水の祭典を締めくくるイベントとして催行され、1650(慶安3)年の水天宮奉納花火大会を起源とし、久留米はもとより筑後地区一円の人々に古くから親しまれている名実ともに西日本一の花火大会といわれている。
・玉垂宮の「大善寺の鬼夜」は、玉垂命が勅命により当地を荒らし、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんり)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を打ち取り焼却したのが始まりと言われている。毎年1月7日の夜に行う祭事で1600年余りの伝統があり、松明6本が境内を巡る火祭り。1994年には国の重要無形民俗文化財に指定され、日本三大火祭りの一つに数えられている。

筑後川下流域
- この地域は有明海の北に位置する。
- 有明海の6mの干満差が美味しい海苔の秘訣。
- 大川では筑後川の筏流しを活用した家具作りが盛ん。
- 柳川は「立花藩」の城下町。
- 八女はお茶どころで、古い町並みも保存されている。
- 大牟田には世界遺産(産業革命遺産)がある。

産業|筑後川下流域
地域別に特徴のある多様な産業がみられる
・柳川市には、立花家(柳川藩)の別邸で、7000坪の敷地すべてが国指定名勝となっており、現在でも藩主の末裔が営むお屋敷がある。ここは日本では唯一泊まれる国指定の料亭旅館「お花」と呼ばれ、観光客に親しまれている。また、市内は川下りができる掘割(江戸時代から変わらぬ930Kmもの水路が町全体に広がっている)が有名で、海外からの観光客も多い。
・大川市は、筑後川の河口に位置し、上流から「いかだ」で運ばれてきた木材を活用した約200社が集まる日本でも有数の家具の生産地(大川家具)として知られている。また、1935年に建設された日本最古の昇開式可動橋「筑後川昇開橋」や1800年以上の歴史を持つ神功皇后ゆかりの「風浪宮」(ふうろうぐう:
海上守護の神・勝運の神)など歴史的名所がある。
・福岡県の最南端にある大牟田市には、有明海に面し近代日本の発展をエネルギー面から支えた三池炭鉱を中心とした世界遺産(産業革命遺産)がある。かつて炭鉱を中心に化学工業や窯業・土石をはじめとしたさまざまな製造業が発展し、地域を支える大きな柱となってきた。
・筑後川下流域では、大川市中心に5~7月のみ漁が解禁される幻の魚「エツ」料理(かたくちいわしの一種で高級魚として珍重されるが、地元でしか味わえない)が有名。また、筑後川が流れ込む有明海に面しているが、干満の差が日本一と大きいことから美味しい海苔が取れ、海苔の養殖も盛んである。

人物|筑後川下流域
立花宗茂、北原白秋、古賀政男、熊谷一弥
・戦国武将立花宗茂は、豊臣秀吉の覚えめでたく宗茂を「忠義も武勇も九州随一」と高く評価、9万石を与えられ大名となった。関ヶ原の戦いでは豊臣方の石田三成の西軍に属し敗れたが、その後、徳川家康にその実力を見込まれ再度10万石の柳川の大名として復帰を果たした。近年、地元ではNHK大河ドラマに「立花宗茂」とその妻「誾千代(ぎんちよ)」を取り上げて欲しいとの声が根強い。
・北原白秋は、日本を代表する詩人・歌人・童謡作家。生れは熊本県(南関町)ながら柳川市で育ち、学生のころから詩壇で活躍、童謡や様々な学校の校歌などの作詞で評価が高い。童謡では、「からたちの花」、「まちぼうけ」、「赤い鳥小鳥」などは今も親しまれている。晩年は病を患いながらも創作を続け、芸術院会員に選ばれる。
・古賀政男は、昭和を代表する作曲家で、「古賀メロディー」と言われる独自のスタイルを生み出した。大川市の出身で「酒は涙かため息か」、「影を慕いて」、「丘を越えて」などが知られている。戦後は自ら「日本作曲家協会」を設立し、「日本レコード大賞」の創設にも中心的役割を果たしている。晩年には国民栄誉賞を受賞。
・熊谷一弥は、大牟田市の出身で、日本テニス界の先駆者といえる人。日本人選手の国際舞台への挑戦を切り開き、1920年アントワープ(ベルギー)五輪で日本人初となる男子シングルスとダブルスで銀メダルを獲得。引退後は指導者としても活躍し、日本テニス界の発展に尽力。

イベント|筑後川下流域
主な行事、お祭り
・白秋祭水上パレードは、柳川市で毎年11月初に行われるイベントで、北原白秋を偲び命日(11月2日)の前後3日間にわたり開催される。提灯等で飾られた約100隻の「どんこ舟」が柳川の水郷をパレードする。舟が進むコース沿いには、様々なステージが設けられ、音楽演奏や郷土芸能が披露されるが、コース沿いからも観覧でき、フィナーレでは花火が打ち上げられ、他に例を見ない幻想的なお祭り。
・大川家具まつりは、日本有数の家具の産地である大川市で毎年春と秋に開催され、日本一の家具のお祭り。人口3万人の大川に毎年約15万人が訪れる。新作家具・インテリア・雑貨など約1万点の展示即売会や木工体験(組子細工、家具職人と作る椅子作り)などが楽しめる。特に秋の「大川木工まつり」は地域最大のイベント。
・おおむた大蛇山まつりとは、大牟田市の中心街で、毎年7月に開催される伝統的イベント。江戸時代から続く祇園信仰と水神信仰が融合したおまつり。全長約10m、高さ約5m、重さが最大3トンにもなる山車(大蛇山という)に和紙、竹、わら等を組み合わせて作った頭・胴体・しっぽが大蛇のように飾り付けられており、巨大な大蛇山が口から火や煙を吐きながらパレードする。子供が大蛇にかまれることで、無病息災を願う「かませ」の儀式も行われる。
その他
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歴史
筑後平野のほぼ中央の久留米は江戸時代に有馬藩の城下町として栄え、明治22年(1889年)には全国30市とともに日本初の市制が施行されました。現在人口は約30万人です。また、筑後は「シュガーロード」が近くを通っていたため、今でも菓子作りが盛んです。
(注)江戸時代に長崎出島を通じ南蛮から輸入した砂糖は長崎街道(シュガーロード)を経て船で大阪まで運ばれていました。
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祭り
植木まつりは日本有数の規模で、全国の総本宮の水天宮では西日本屈指の「筑後川花火大会」が催されます。
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産業
久留米はタイヤ等のゴム産業のほか、焼鳥・とんこつラーメンが有名です。
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文化
八女はお茶・伝統工芸、大川は木工家具、柳川は川下りで知られています。